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◇リトグラフとの出逢い

  私が、はじめてリトグラフという言葉を知ったのは、高校時代にドーミエの展覧会を見た時でした。最初は、誰もが感じるように、 どうして版画なのにクレヨンのタッチが表現できるんだろうと、疑問に思ったことを記憶しています。
  リトグラフを自分でもやってみたいと思うようになったのは、ロートレックの作品に展覧会で出会った時からでした。確かラフォーレ原宿がオープンした時に開催された展覧会だったと思います。 その(オープニング記念?)の展覧会では有名な「ムーラン・ルージュ」等のリトグラフのポスターが多数展示されていました。 中でも印象的だったのは、トライアル・プルーフ(Trial Proof 校正用試刷り)の展示をを何点か見られたことでした。一つの作品を仕上げるまでの過程で色を変えたり、版を差し替えたりして、作家が試行錯誤している様子が はっきりわかりました。「ああ、こういうことがリトグラフの楽しみ(苦しみ)なんだな。」と、思ったものでした。

◇大学でのリトグラフ

  大学は絵画科洋画専攻にすすみました。今では美術大学で版画科があるところは珍しくありませんが、わたしの学生時代は数えるほどしかなく、 母校、名古屋芸大にも当時はありませんでした。入学して、リトグラフへの想いは消えたわけではないのですが、リトグラフを制作する設備もなく、 油絵や銅版画を制作していました。
  リトグラフを始めるチャンスは2年生の時に訪れました。大学に非常勤講師で来ていらっしゃった銅版画家の方から、 中古のリトのプレス機を安く譲っていただけることになりました。安くといっても貧乏学生のこと、一人では資金がでません。 友人、先輩、後輩をさそって共同で購入しました。
  最低限の設備も何とかそろえ、一応何とかリトグラフが制作できる環境を整えることができました。しかし、いったいどうやって制作していいのか、 集まった仲間たちの中にはリトグラフを制作したことのある者は誰も居ません。技法書を片手に悪戦苦闘の日々が続きました。 今では笑ってしまうような初歩的な失敗も、当時はまったく原因が分からず、 1枚刷り上げたら、もう版が壊れて次が刷れないなんていうこともしょっちゅうでした。それでも少しづつは作品らしいものも刷れるようになってはきましたが、 技法をマスターするという段階ではありませんでした。
  リトグラフを専門としている方から、はじめて技法を学んだのは3年生になってからでした。 大学で夏休み中に、木版画とリトグラフの集中講義が行なわれることになりました。木版画は黒崎彰先生、 そしてリトグラフには東谷武美先生を講師にお迎えして集中講義でした。 お二人とも美術界の第一線で活躍されているかたで、講義を受ける前からかなりテンションが上がっていたのを今でも記憶しています。 東谷先生の講義では,先生自身の多色刷りの作品を、1色づつ版を重ねる過程を見ることができる制作例を見せていただきました。ロートレックのトライアル・プルーフをはじめて見た時と同様に、版表現の面白さを教わりました。
東谷先生の講義は次年度もあり、 石版石にも、そのとき初めて触れることができました。短期間の講義・実習ではありましたが多くのことを学び、ますますリトグラフの魅力に引き込まれていきました。 4年生の夏休みにも東谷先生のリトグラフ集中講義が同様にありました。今度は、1年間リトグラフの制作で、うまくいかなかったことや、疑問に思ったことなどを ノートに書き留めておいて先生がお見えになった時に質問をさせていただきました。夜、先生の宿舎まで押しかけて行って、いろいろお話をうかがいました。いまさらながら本当に迷惑な学生だったと思います。

◇大学卒業後

大学卒業後の進路については、多くの人がそうであるように私自身も悩みました。 リトグラフはずっと続けたいし、ずっとぶらぶらしているわけにはいきませんし。 ある日、当時お世話になっていた画廊で知り合った彫刻家の国島征二さんから 鍔本達朗さんという方が愛知県の碧南市でリトグラフの作品を、しかも石版石を使って制作している、というお話をうかがいました。 さっそくお電話をしてお邪魔することに。そして、半ば強引に押しかけ入門をお願いしました。。 当然収入の当てなど無く、アルバイトをしながら鍔本さんのアトリエへ通ってリトグラフの勉強させていただくことになりました。
鍔本さんというかたは、大変こだわりを持った方で、ご自分の作品のほとんどを石版石を使います。単純なベタの版でも金属板を使いません。 けっこう石版石の研磨や移動はとても重労働なのですが。おかげで石版石の扱いには慣れることができましたが。
鍔本さんのところには、1年半ほどお世話になりました。

◇森工房へ

ある時、鍔本達朗さんの友人で建築家の市古さんから、長野県で新しくできたリトグラフの版画工房で スタッフを探しているというお話をうかがいました。長野県には、高校時代にスキーで訪れたり、大学時代に美術館を訪れたりしただけで 土地勘といったものも、まったくありませんでした。当時、森工房は2.5m×1.25mという世界的に見ても稀な大画面をすることができるプレス機を 備えた画期的な版画工房でした。
中古のライトバン1台に積める荷物だけで、長野県へやって来ました。版画工房に勤めて最初に驚いたことは、1日に刷る量の多さです。多いときには一日に300枚は刷ります。 版画工房の仕事は、重労働で体力がなければできないということを思い知らされました。